井口農園は2010年に体験農園旬感倶楽部を開園しました。

農業に農村に明日はあるか

農業に農村に明日はあるか

イチゴ農家の関口さんと一緒に福島にあるイチゴ苗の圃場に仕事をしにいった。
黄金色に吹き揺れる米の刈り取りの季節。
農村風景は自然の雄大さに楽園を見る思いがした。

余談だが、農業をやりたいと思ったきっかけの一つに
ジブリ映画「おもひでぽろぽろ」がある。
トラックの荷台に干しわらが山と積まれそこに寝転ぶ主人公。
雄大な自然と稲穂の揺れる畑。
そこに流れるBGMのカントリーロード

昨日今日と見た光景は、その農にあこがれる原点を想起させた。
画像の説明
だが、農村にはそんな楽園の背景とは別のうらの顔も垣間見せる。

忍び寄るなんてものではない高齢化。
60を過ぎるおばちゃんお手伝いさんが、そこではまだ若手と呼ばれる事実。
広大な畑を管理しなければならないが人手不足にあえぎ
りんごの収穫の収入が40万円のところに、60万円の農薬量が必要という現実。
横のつながりが深いといえば聞こえはいいが、悪い噂もたちまち広がる村社会。
スーパーの出現で商店街が消え、活気がなくなった町にもたらされるスーパー撤退の噂。
旅行者には楽園に見える場所にも、住んでいるものには当たり前になってしまう自然風景。

どれをとってみても深刻な事態。
そう、それは「おもひでぽろぽろ」のヒロインも言っていた。

「農村の現実を見ずに素敵なところですねを連呼していた」

日本の農業は、日本の農村はどうなってしまうのだろうか。
人間は食べなければ死んでしまう。
それは誰もが認める当たり前のことだ。

それなのに、食べるものを生み出す農業は日本では軽んじられている。
人は目で見えるものを信じる傾向がある。
でも目に見えないところにも事実はある。

見えるもの、それはあふれんばかりに盛られた食料の山だ。
スーパーに行っても、コンビニに行っても、レストランに行っても、
どこにだって食べるものは捨てられるほどにあふれている。

お金を出せばなんだって買える。
そう信じて疑わない、いやそんなこと考えもしない人がほとんどだ。

でもその裏には、畑で腰を曲げて食べ物を泥まみれで作っている人がいる。
その人たち、そして日本の農業自体に先が無いように思える。
高齢化、跡継ぎ不足、耕作放棄、価格の買い叩き。

考えて欲しい。
例えば僕はサッカーが好きだ。
でも、サッカー選手は人々に興奮と歓喜を与えても食物は得られない。
それなのに、その人たちに何億、何百億という金が動く。

それなのに、生きるうえで大切な食べ物を作る人には
「働いても働いても、じっと手を見る」という生活しか出来ないのはなぜか。

何かがおかしい。

農業に、農村に明日はあるのだろうか?

画像の説明

powered by Quick Homepage Maker 4.27
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional