野菜さんたちのこころ
野菜さんたちのこころ
もし、あなたの部屋に、突然包丁を持った屈強な男が、あなたを殺そうと押し入ってきたら、あなたはどうしますか?
動転すると同時に、発作的にきっと必死に抵抗し、隙あらば、反射的に反撃すると思います。 すったもんだどころじゃありません。 まさに修羅場。 命がかかっていますからね。
突然の不条理に訳もわからず、もがいて、喘いで、抗って、苦しんで・・・。 私だって、そうなります。 だって、やっぱり死ぬのは嫌ですから。
突然物騒な話ししてごめんなさい。
お茶でもどうぞ。
実は、それこそが、私やあなたの「生」に対する執着そのものなのではないでしょうか!
私達が日々頂いている野菜さんたちは、その点、実に潔い。
これから刃物で切り裂かれようと言うのに、まったく動じていない。 最後の最後まで、ただ、己の生をまっとうしている・・・。
彼らの死にざまからは、執着というものがまったく感じられないのです。
料理をしていると、時に彼らは、私に笑いかけてくれているのではないか、と思う事すらある。
そのけなげな振る舞いに、私はまったく感動してしまうのである。 かわいくてしょうがない。
去年の夏に食べたとうもろこしなんか、皮をむいて、ひげとともに露わになったとうもろこしのつぶひとつひとつが黄色にピチピチと輝いて本当にうれしそうだった。
元気に、「ニーっ」と、笑っているようだった。
これから食べようとしている私に対して、「ほら、こんなにしあわせだよ。」と、微笑みかけているかのように感じてしまったのだ。
そこに私は、無償の、無限の愛を感じてしまったのです。
きっと彼らは、実は、私達人間が想像も及ばぬような次元にいるのかもしれない。 だからこそ私達は彼らの声を聴く事が出来ないでいるし、その想いもなかなかわからないのだろう。 ひょっとしたら、私達は、彼ら植物、野菜たちの足元にも及ばないのかもしれない・・・。
そんな植物たち、野菜さん達を、やさしく見守るような人に、私はなりたいのです。
いや、植物さんたちに やさしくしてもらってるんだな・・・(反省)。