落ち葉掃き
落ち葉掃き
晩秋から初冬は落ち葉の季節。
今日は、掃き掃除をさせてもらいました。
一輪車に、かごと熊手とちりとり代わりの箕を載せて、クリン、クリン♪
順調、順調~。
落ち葉を掻き出すと、中でうずくまっていた蜘蛛さんが、驚いたように飛び出しまして、
ブロック塀沿いに、一匹二匹、二匹三匹、
ぞろぞろ、ぞろぞろ。
いそいそと駆け上がっていくのです。
なんだか、申し訳ないな。
多分、隠れて温まってたんだろうにな。
熊手は本当に良く出来た道具だと思います。
こういうのが本物の知恵というものなのではなかろうか。
などと、
先人達の暮らしに想いを馳せていますと、
その内、時の経つのも忘れて、
無心になって、
私は熊手を操っておりました。
見事にスッキリ。 気持ちも晴れてくるのがとても不思議です。
蜘蛛さんは何処へ行っちゃったのかな。
掻き出した落ち葉はこのように集めておきます。
「土地を守る」ってこういう事の積み重ねなんだな。
妄想癖と言われても仕方の無いくらいの私の想像力は、膨らむばかり。
こういった仕事こそ、大事なんだな、と思います。
私は好きですね。 こういうの。
地味ではありますが、ひと掃き毎に、愛着というか、地に足が着いて、心が整ってくる。
欠かせない事。 価値ある時間。
10代で東京に出て来て、マンションやアパート住まいをせざるを得ず、長く経験してしまっている私には、この大切さが、その分だけ余計に感じられる。 わかる。
子供の頃はちゃんとしてたんだよな。 掃除も。 毎日の雪かきも、屋根の雪降ろしも。 そうやって、家を守ってたんだよな。
土地と人との関わりはとても大切な事。 これを忘れた暮らしは、どんなにお金があっても、浮き足立った、心寂しい暮らしとなるだろう。 私はお金持ちになった事はないが、この事の一端は、この身を持って経験している。
とある報道によれば、今、地方農村の水源地には、中国などの海外資本がどんどん入り込んできて、買い漁られている状態であるという。 そこからは、それを易々と認めてしまう、日本の行政の姿勢が窺える。 ちょっと待ってくれ。 ちょっとおかしいのではないだろうか。
田んぼに水がうまく引けなくなったら、日本という国は間違いなく終わる。 諸外国と仲良くする事は大いに結構だが、それとこれとは話が違うだろう。 これは人々の暮らし、国体の根幹に関わる問題だ。 清らかな水は、日本の生命線であり、命の源だ。 私はこれを憂慮せずには居れない。
私は、早くいっぱしの農家になりたい。
農家になって、この日本を、みんなの暮らしを守りたい。
私達にはもう、そんなに時間は残されていないような気がしています。
問題を皆さんに提起させて頂きまして、
この記事を閉じたいと思います。